『オラのことかー(怒)』問題
日頃、お世話になっているコワーキングスペース茅場町 Co-Edoのオーナーの田中さんのSNSにおける「『オラのことかー(怒)』問題」についてという記事。最近、すごく共感できることがありました。
こちらが謝りたくなった
人にお願いをする時に対価を支払わないのは自己中心すぎるよねって話。の記事と動画を公開した後、多くの人から「ごめんなさい」というメッセージをもらっいました。
一般公開するので、ある程度は想定していたのですが、「これって自分のことかな?申し訳なかった」というようなメッセージをもらうたびに「あなたのことじゃないんだー」とこちらが謝りたくなってしまいました。
そもそもそういったメッセージをくれる人は相手に対しての尊厳を持っている人だと僕は思っています。
なにより、メッセージを送ってくれた人は「あなたと僕との関係性は友人だよ」(面識があるだけとは違うじゃないか!)と思う人だった。
本当に伝えたい人には届かない歯がゆさ
もともと「対価を払おう」という記事(と動画)は、個人事業で頑張っている人が安く使われてしまう。または使おうとしてしまうことへの疑問提議でした。
中には同じ思いを持っていても言えない人もいるし、そんな時に動画でも記事でもシェアすることで「間接的に「言いたい相手」に伝えるのに使ってもらえれば」という思いもありました。
大前提として友人同士(知らない中ではない)の関係では「お金」の話をする方が野暮ってもんです。
とはいっても反応を見ていると「本当に伝えたい相手」には自分のメッセージは届かないもんですね。全然関係ない人ほど「オラのことかー」ってなってしまう。
ソーシャルメディアで無用に傷つけないというのは当たり前ですし、傷つけたくて投稿なんてするわけがないのですが、発言という意見を公開すると反対意見や不愉快な思いを持つ人は絶対に出てしまいます。
これは実社会でも同じことで、全ての人に賛同される、賞賛される意見なんてないと思うんです。
どれだけ「あなたは違うよ」を伝えられるか
ブログ記事なら注釈入れたりして出来る限り「あなたは違うよ」という区別をつけられるのですが、FacebookやTwitterのように一言二言程度の投稿でそれをするのは難しい
かといって、それを理由に発言しないのは何か違う(ソーシャルメディアで発言することの難しさとツマラナサさと村八分)
投稿の受け手も過敏にならないほうがいい
投稿を見て「オラのことかー」と思ったとしても、ちょっと考えてみる。本当にそれは自分の事なのかと。
学校の先生目線だとクラスの生徒は生徒の集合体(1対多)だけど生徒目線だと先生は1人なので、先生の発言は自分との1対1になってしまうのと同じかもしれない
先生(投稿者)に立ってみる。その人の知り合いは自分だけではない。他の人のことを話しているのかもしれない。本当に自分の事だと確信を得てから反応しても遅くはないと思う。