ブログやセミナーなどで伝える時には「小学生でもわかるように」「わかりやすく」とよく耳にしますね。確かに学術論文や専門家同士の話レベルで専門用語を使っては、受け手が専門家でない場合には読み手が書いてある内容を理解が難しくなってしまいます。
脳みそにストレスがかからないのは誰も幸せにしない
ですが!僕は「受け手の脳みそに電気信号が駆け巡ることがない(脳みそに汗をかかない)のは、瞬間的にお互いが気持ちよくなっているだけで何も積み上がっていない。蓄積されていない」と考えています。
確かに「読み手が勉強したりすることが必要ないことに時間を費やさせてどうする」という意見も理解出来ます。でもWEB的な言い方をすればロングテールじゃないんですよ。麻薬的にその瞬間は気持ちいい。その瞬間が止められなくて依存する。依存した先には廃人が待っている。
便利になる。簡単になる。ということは思考しなくなるからバカになる。携帯電話を使うようになって「漢字が書けなくなった」経験ありませんか?これは分かりやすすぎる例ですよね。
「すぎる」ことが怖い
肝心なのは「程度」かと思います。小学生にも伝わるようには大事ですが、使い方を間違えると相手を不幸にすると僕は考えています。相手が噛む必要も消化する必要もないほどにドロドロに溶かしすぎては逆効果。
もちろん可能な限り分かりやすく伝えます。でも分かりやすく伝える事と「相手に考えさせない」「相手の思考を刺激しない」のは大きな差があります。
国際協力やボランティアの世界では「食べ物を与えるのではなく、食べ物の得かたを教える」と言ったりしますが、僕はただ食べ物の得かたを教えたのでは不十分だと考えてます。それでは他への応用ができなくなるからです。簡単に言うと本質的な根っこの部分を理解しなければ意味がない。それには相手が思考し脳みそを使って気づいていくしかない。
分かりやすく伝える
僕が考える「分かりやすく伝える」とは「その情報を受け取って相手が脳みそを働かせた時に、理解までの道のりをできるだけスムーズにすること」です。
自分は日本語教師として海外の人へ日本語を教えていた時期があります。(日本語教師の資格も持ってます。420時間の方です)日本語がわからない海外の人へ日本語を使って日本語を教えたりもしてました。
あまりにも砕きすぎて生徒さんが脳みそに汗をかかないと身に付きません。その時は理解しても次の日には忘れてます。それでは本末転倒。その瞬間だけ理解してもらえば良いというのなら話は変わりますけどね。
受け取る側の問題
情報の受け手側に問題があることもよくあります。思考する事を拒否していたり、学ぶ事を拒否している(本人はそう思っていなくても)。
情報を受け取った時に考えることもせずに「わかりづらい!」と言うのはナンセンスですよね。やはり伝える側と受けとる側の同じ方向を見ていないと良いものは生まれません。
大学生の頃の飲食店でのホールリーダーの経験やカフェの店長の経験からすれば「お客様は選ぶ」のは当たり前です。同じように受け手を選ぶぐらいがちょうどいいのかなとも思います。もちろん「その言葉を知らないお前が悪い!」と伝える努力なく責任転嫁するのもナンセンスです。
姿勢が違う
受け手側の違いの1つとして「姿勢」が挙げられます。受け身なの人はダメですね。情報を活かせない。どこかに座っていて情報を届けてくれるのが当たり前。前掛けをかけてくれて、その情報を食べやすいサイズに切ってくれて、口の中に入れてくれないと嫌な人です。
受け取った情報を10にも100にもしていく人は引くぐらい積極的ですよね。積極的でなくても、外とのやり取りを必要とせずに1を1000ぐらいにしちゃう頭の回転数が凄い人もいますけど。
質問が違う
積極的な人や学ぼうという人は質問自体が違いますね。「◯◯がわからないんですが、自分は・・かなと認識してるんですが合ってますか?」とか「調べて・・という認識はしたんですけど、ここがちょっと引っかかっていて。」「調べたんですけど見つからなくて、どう調べたら良いですか?」など質問が凄く建設的です。
反対側にいる人は「わかりません」しか言いませんね。「調べたけど見つかりません!」と口調もさも自分は悪くない!と言いたげなこともある。「わからない」そのこと自体に向き合ってないというか、建設的ではないですね。
専門用語の存在意義
どうも専門用語を悪のように仰る方がいますが、確かにマーケティング用語を知ってたって知らなくたって、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動(引用元:wikipedia)」ができている会社や人は沢山あります。
それでも専門用語には専門用語の存在意義がありますよね。僕は「略」することだと思ってます。マクドナルドをマックというのと同じです。言語自体が「略す」ものでもあります。限られた時間や限られたスペースで伝播するために略す。古典から見たら今の日本語なんて略しまくってますよ。
ただビジネス用語になると横文字が乱用されたり、その用語が意味するものや範囲が明確になっていなかったり共通認識にズレがあったりするのは問題だとは思います。
終わりに
何を目的にしているかで求められるものも大きく違ってくるとは思います。伝える側も受け取る側もそこに意志があればそれで良いとも思います。どんなやり方をしても合う人合わない人は出ちゃいますから。