100人の前で言えるか?
2013年はTwitterの投稿が問題になることが頻発しました。単純にソーシャルメディアリテラシーが低いことが原因ですが、リテラシーを上げる場がないのも事実です。
また日本の人口の8割がインターネットを利用していると言われている現在。Facebook,Twitter,Youtube,ブログ,などのソーシャルメディアからWEBサイトまでインターネット上にあるものはすべて公共の場に公開されているといって過言はありません。
参考:インターネット利用者数による国順リスト – Wikipedia
たとえ限定公開や非公開としていても、「表面上は」という文言がついていると思っています。
だからこそ、ブログを書いたり、Facebookで投稿したりするときは「同じことをオフラインの場で50〜100人の前でも言えるか?」を意識しています。きっとFacebookやTwitterで、僕の発言をみて「問題あるんじゃないの?」と思われる方もいるでしょう。
実は全部、想定内です。投稿する内容もコントロールしています。(ソーシャルメディアを活用している方には当然!と言われそうですが)
気持ちが滅入る記事を読んで楽しい?
こういう話をすると、たまに「個人の日記なんだから〜」とおっしゃる方がいます。それならばネット上ではなく、ネット外で日記を書いたらいいと思います。
これぐらいは理解しているはずです。もし理解していなかったらリテラシーを上げてください。ネット上で公開しているということは、誰かに読んでもらいたいと思っているはずです。
公共の場で「愚痴を話す」「自分の惨めさを語る」「批難する」それで誰が楽しいのか?
※「批難」と「批判」は違います(参考:批判と非難をごっちゃにしてはいけない)
確かに「同じ境遇の人同士で支えあう」ことが出来るかもしれません。それが本当の目的なら、自分の目的を明示すべきですし、場所も選んだほうがいいと思います。ブログのタイトル、記事のタイトル、プロフィール、明示できる場所は沢山あります。場所もより境遇の近い人とつながりやすいところがあるはずです。
ネガティブなもの(愚痴、文句、批難など)をからはネガティブなものしか生まれません。悪循環のループです。
限定公開なんて形だけ
限定公開とは表面上の話です。どんなにクローズ(非公開)にしたとしても、完璧には無理です。
特定の人にしか公開していない。でも、その特定の人が1人で見ているのかもしれないし、画面を共有して複数人で見ているかもしれない。もしかしたらスクリーンショットを撮ったり、動画なら録画やダウンロードをしているかもしれません。
Facebooの投稿を友達に限定した。見てほしくない人は外したとしても、投稿を見てほしくない人が、自分が限定公開した友達の友達で同じデバイス(PC、モバイル)で自分の投稿を見ているかもしれません。
WEBで受信者の人の状況や環境は、発信者にはコントロールできないんです。
どこに出ても困らない発信をしよう
一般公開であったとしても、限定効果であったとしても、「拡散」「共有」が、だれでも簡単に出来る時代です。簡単ということ自体に潜むリスク(リテラシーが影響しない)を意識する。
自分が公開したものが、どこに出てもいいように、オンラインだからと油断せずに、オフラインと同じ意識で自分が街頭演説しているのと同じ意識で情報発信をする。(自信と名誉を持って)
出来る限り「楽しい話」をする。(いつも愚痴や文句ばかりな人、「辛い」「苦しい」「あいつが悪い」が口癖の人とは何事も楽しめません)