コンテンツが王様になって久しいですが、良質なコンテンツを作ってさえいれば他の手法やツールは必要ないと仰る方がいらっしゃいます。
現状ではWEBに最適化されていなかったり、Google検索に最適化されていることは凄く重要ではないでしょうか。もしかした将来は「最適化」なんて言葉はなくなるかもしれませんが、今はまだ必要です。
良質なブログ記事にはSEOの知識が役に立つ
コンテンツ イズ キング。良質なコンテンツを作ることが重要である。という意見に反論はありません。その通りです。
ですが、良質なブログ記事=SEOはいらないというのは暴論であると思っています。もちろんブラックなSEOは要りません。ですがホワイトなSEOは知識として身につけておいた方がコンテンツのクオリティが上がるのではないでしょうか。
すべてはコンテンツだ!と叫んでいる人の中には「逃げている人」がかなりいるように見えています。
人間のことしか考えず、そのコンテンツが表現されるWEB(ブラウザ、ネット環境、デバイスなど)を無視していい訳がありません。
私が考える本物の良質なコンテンツとは「コンテンツに関わる全ての人、モノに対して思いやりがあり、歩み寄りがあるもの」です。対人間、対Googleしか考えていないのは全く美しくない。
プラットフォームを無視は出来ない
例えば名作映画をノートパソコンで観る。名作映画自体は良質なコンテンツで音も映像も一級品!でもそれを表現する場所であるノートパソコンに備わっているスピーカーや液晶の解像度などのキャパシティを超えていたとしたら?ノートパソコンで再生できるデータ形式でなかったら?せっかくのコンテンツもその魅力を発揮できません。
ノートパソコンや映画なら取り替えが可能です。でもWEBではそうそう取り替えられるものではありません。Googleを代える?無理でしょう。
YouTubeが盛り上がっているのもプラットフォームが整備されたから
YouTubeが盛り上がっているのもiPhoneを筆頭にスマートフォンなどのデバイスの環境が整ったからです。
YouTube自体は2005年からこの世に存在しています。動画マーケティングもこれまでに何度も時代が来た!と叫ばれました。でもそのコンテンツを表現する場所が整備されていなかった。
逆に言えばコンテンツがプラットフォームに最適化されていなかった。
良質なコンテンツを作って、あとはプラットフォームが整備されるのを待つ?本末転倒ですね。
SEOとはコンテンツを美しくすること
もちろんブラックハットなSEOは駆逐すべきです。ですが本来のSEOとはGoogleなどの検索サービスに対して思いやりのあるコンテンツを作ることも含まれます。
人間だけでなく、ロボットが読んだ時にもわかりやすく伝わりやすく美しい言葉で作られていることです。
WEB標準にそったWEBページを作ることです。
Googleやブラウザもプラットフォームの1つです。このことを無視して人間のことしか考えないのは偏り過ぎていると感じます。いくら人間にとって良いコンテンツでも、それを表現する機械にとって不親切であればそれは良質なコンテンツではないと私は考えています。
「コンテンツだ!」と叫んでいる人の中には対機械へ思いやりを持つための最低限の知識(HTMLやCSS、WEB標準やホワイトハットSEO)を理解することから逃げて言い訳にして騒ぎ立てているだけの人がいることに違和感を感じずにはいられません。
頭が痛くなるコンテンツは厄介なだけ
家具を組み立てる解説書を日本語の文法を無視して自分だけの文法で書かれていたらどうでしょう?理解するのだけで疲れてしまいますよね。
サーバーだって同じです。機械言語を無視して書かれていたら、それを理解するのに負荷がかかります。人間脳では理解できるし良いコンテンツだと言われても、そのコンテンツに関わる全ての人やモノに対して良質でないものは良質ではないのです。
関わる人やモノの特定の誰かしか思いやらないのは、なんだかセルフィッシュな感覚です。
なんの為にWEB標準があるのか?
説明書や注意書きには記載されている理由があります。法律だって定められている理由があります。
もう時代が違う?本当そうですか?なにごとも初まりを知るって大事だと思うんです。
最後に本当にあなたのコンテンツは対人間にとっても良質ですか?目が見えない人、音が聞こえない人のことをないがしろにしていませんか?
あなたが言っているコンテンツ イズ キングは社会的な差別を生んではいませんか?