またSEOについて吠えますよ。SEOだけじゃなくて吠えますよ。ただのストレス発散するために吠えますよ。
だって、すごく違和感を感じるし、寂しさを感じるんですよ。SEOが悪く言われたり、低評価されるのを聞いていると。
GoogleのためにSEOはある訳じゃない
Googleがパンダアップデートだ、ペンギンアップデートだってGoogle検索アルゴリズムのアップデートをしたことで、「SEOは死んだ」とか「今の時代はSEOじゃない」って聞くと、毎回、SEOってそういうことではないのにな。と悲しくなる。
SEOは死んでないし、今も健在さ。ただね、SEOを被リンクを買うこととしか考えられていない「スパマー思考」の人にとってはSEOは死んだんだろうと思う。
大事なことは昔から何も変わっていない
僕はパンダアップデートやペンギンアップデートがあるまえから、WEBサイトは「コンテンツ」だと思ってたし、良いコンテンツは、買ったり頼まなくても勝手に被リンクを貼ってもらえると思ってた。
だって「リンクを貼る」っていう行為は「WEB上で口コミ紹介している」ってことでしょ。その口コミ紹介を頼んだりお金を払ってやってもらってたら、ただの「サクラ行為」じゃん。それが褒められた行為でないことはわかるでしょ。
SEOというのは「愛」だ。Google検索だろうがYahoo検索だろうが、ネット検索している人のためにあるんだ。Googleのためにあるわけじゃない。
ネット検索するときにGoogleを使っている人が多いからGoogleを基準にしているだけ。
それにGoogleが望んでいることも「検索している人のHAPPY」だから、「検索している人のHAPPY」だけを考えて判断すれば、自ずとGoogleに評価もされると思う。
でも、どんなに「良いと思うもの」を作っても、それが独り善がりなものでは、そんなものに価値はない。漫画バーテンダーでこんな話があった。
若いグラス職人が濃い赤のとても綺麗なグラスを作った。でも師匠からはそんなものダメだとダメ出しされる。理由がわからない若き職人は、師匠を批判し始める。何もわかってないと。それを聞いていたバーテンダーが、その綺麗なグラスでカクテルを作って見せた。すると、グラスの濃い赤色とカクテルの色が混ざって、真っ黒に見えた。これではグラスを使ってカクテルを飲む人は飲みたいとは思わない。
相手のことを想い、その人にとってどうなっていたらHAPPYかな。そもそもWEB上で出会えなければHAPPYになってもらえない。
オウンドメディアを作ってバズらせよう!はスパマー思考っぽい
もちろんちゃんとした知識と経験と理論を持って「オウンドメディア」を推奨している人もいるし「オウンドメディアでバズらせよう」という言葉だけ引き出したのでは説明不足であることもわかってます。
でも最近のオウンドメディアブームを見ていると「自分にはSEOで検索流入を作ることができない」から「バズらせる」方がまだ可能性がありそうだと、SEOできない人が「生き残るために自己防衛」で叫んでいるだけなんじゃないかと感じることがある。
今はWEBサイトへの被リンクを大量に貼ればGoogle検索で上位表示して集客できますよ。
今はオウンドメディアを作ってコンテンツをバズらせれば沢山の人がWEBサイトへ訪問してくれるので集客できますよ。
なんだか僕には言葉が変わっただけで「スパマー思考」であることになんら変わりないように思える。
表面的にしか見ないで、楽な方法ばかり。コツコツと地道に積み重ねることを軽視する思考。
物事の背景を気にするって大事だよね
スパマー思考ではないけれど、WEBマーケティングで有名な人の中には「実質、自分の影響力を売っているだけの人」もいる。その人がWEB上で影響力を持っているから、その影響力を使ってなんとかクライアントの成果を生み出しているような人。
決してそれが悪いとは全く思ってない。それだって立派な強みだし、価値があることだし、それだけの影響力を持てるのは本当に凄いこと。ただ「商品が、その人の影響力である」ことを、外から見ている人がわかっていないのはどうなんだろう。
結局はクライアントもその人に依存してしまうから、その人が居なくなったら元のダメな時に戻っちゃう。いわゆる「魚だけを与えて、釣り方を教えていない」
でも、釣り方を教えるのは難しい。僕もそうだけど体系化されていなくて、自分の感覚や経験則でやっていることを教えるのは難しい。日本人は日本語のネイティブスピーカーだし、学校で国語を教わってはいるけど、いきなり日本語を体系的に教えてくださいって言われるとすごく難しいのと同じ。
個人規模でやっているぶんには、自分自身を商品にできるからメソッドなんてなくても良いとも思うんだけど、難しいところですね。
本当にSEOはROCKじゃないの?
「【ブロガー】SEOが全然ROCKじゃない問題について – きりんの自由研究」という記事を読んだんだけど、あるルールの上でどれだけ自分を表現できるか否かって話なだけだと思う。
SEOなんて所詮は末端の手法でしかなくて、それをROCKじゃないといちゃうのは、逆にROCKじゃない気がするし、なんかイケてない。
僕はROCKのことはよくわからないので、自分の大好きなHIP−HOP。その中の「ラップ」のことを考えてみると、超基本的なルールって、ビートに合わせて韻を踏むこと。その韻の踏み方や使う言葉とかで個性をガンガン出すわけだよね。
サッカーでも考えてみる。超基本的なルールは手を使っちゃいけないとかオフサイドとか。それでも世界中で個性あふれるプレーをしている人たちは沢山いる。
ルールがあるからこそ、自由になるし、広がることって多いよね。
自分の言葉で書いてるはずなのに、全然自分が書いてる気がしねぇ! 日本語もなんだかおかしくなるし。誰かの役には立ちてぇけど、毎回毎回「おすすめ」とかタイトルに入れたくねぇ!/引用:【ブロガー】SEOが全然ROCKじゃない問題について
この記事でルールだと定義されていることが、本当にルールなのかどうかは置いておくとして、単に技量や表現力やクリエイティブが達していないだけなんじゃないかと思うわけです。
この投稿を読んでいて「韻なんか踏んでたら俺は自分を表現できないし、社会に一発かましてやることもできない」ってラッパーにもなれていない素人が愚痴っているだけにしか受け取れない。
問題の理由を外に押し付けて、自分を守ってるだけで、もったいなさすぎる。
SEOにちょこっとだけトライしたけど、全然上手くできなかったから諦めます!放棄します!って、諦めたらそこで試合終了だよ。(試合終了の時間になれば勝手に終了するんだけどね)
もう一度言うけどROCKのことはよくわかない。わからないけど、あるルールの上でそのルールを守りながらブチかますのはROCKじゃないの?
ROCKかどうか、HIP−HOPかどうかって生き方とか在り方の話じゃないの?ROCKはどこで何をしたってROCKERの人がROCKERであるのは、その人の生き方とか在り方がROCKだからじゃないの?
僕もイケダハヤトさんは大好きです。だって生き方も在り方もカッコイイと思うから。
RHYMESTERのMummy-Dさんのインタビュー
Hip−HOPは何だ?というテーマでRHYMESTERのMummy-Dさんが話をしています。
https://youtube.com/watch?v=YmoRhiYeF1w%3Fstart%3D48
SEOも完璧で「世間」にブチかませたら最強
自分はSEOも表現力もクリエイティブでもまだまだ全然ペーペーです。でもあるルールの上で、そのルールを守りつつ破壊をしたら、最強だと思ってるし、そうなりたいと思ってる。
ビリギャル(実際がどうとかどうでもいい)が流行ったけど、あれこそ最強だと思うんだよね。言い方が悪いけど、敵の土俵で成功しちゃうってカッコよすぎるでしょ。
もし暴走族がアナと雪の女王の「LET IT GO」をバイクの爆音で完璧な演奏をしたら、世間は気持ち良くKOされちゃうでしょ。世界中でバズっちゃうかもしれない。
それが最強なのは、ただ爆音を鳴らしているだけじゃなくて、世間一般へ歩み寄って「LET IT GO」を演奏しちゃうからKOできるんだと思う。
できないって言うのは簡単さ。諦めるのは誰にだってすぐできる。でも世の大多数ができないと思っていることを「やってやろう!」と立ち向かっちゃうのがカッコイイ。僕はそう思ってる。