コンテンツ作りでの大鉄則があります。それはコンテンツを読んでくれる人、見てくれる人を想像しながら作るということです。
マーケティング用語ではペルソナと言いますね。ですが、「ペルソナなら設定してますよ」と仰る方のなかには「層」で決めている人が多いです。こういった人の特徴としてはブログ記事で「みなさん」と呼びかけている人です。特定の人に書いていれば「みなさん」ではなく「あなた」になるはずです。
読んでくれる人、見てくれる人ではなく、読んでくれる層、見てくれる層ではコンテンツ作りにおいて響かないものになってしまいます。
ブログ記事や動画を作るときは特定の1人に届くように
コンテンツマーケティングでは、よく「ラブレターを書くように」と言いますね。情報が相手に届く事と、情報が相手に受け取ってもらえるかどうかは別の話です。特定のKさんに向けて、その人の状況や、その人の情報を考慮した内容にしなければ相手は受け取ってくれません。
ましてやWEBコンテンツは複数人で見るよりもPCやスマホで1人で読んでいる、1人で見ている場合がほとんどです。セミナーや講演会で不特定多数と話をしているのとは違いますよね。
30代、女性などの「層」に対してではなく「Kさん」と特定の人物に向けてブログ記事を書きましょう。コンテンツを作りましょう。
誰かと呼びかけても誰も振り向かない
相手の顔も見えない、声も聞こえない、カオスの世界でもあるWEBの世界で「誰か!」と叫んでも誰も反応はしてくれません。これだけ情報過多の状況で、全ての情報を受け取っていたら私達は数分でパンクしてしまいます。だからこそ私達は届く情報を選別して、自分が必要としているもの、自分に関係しているものを受け取っています。
情報発信側としては、より多くの人に読んでもらいたい、見てもらいたいと欲が出てしまうのもよくわかります。でも「二兎を追う者は一兎をも得ず」どころか「一兎を追っても一兎も得られず」になる可能性の方が高い世界です。
一兎を得ることに集中した方が成功率は高いはずです。
自分事にならないと反応しない
どんな人も、届いた情報が自分と関係なければ受け取る事はありません。どれだけ自分事であるかで情報を選別しています。
例え話ですが、夜、暗い道を歩いていて誰かに襲われそうになった時、「誰か助けて!」と叫んでも誰も助けにきてくれず、「火事だ!」と叫べば、近くの家から飛び出してくる人がいるそうです。
「誰か助けて」では、厄介ごとに巻き込まれるから見て見ぬ振りをしていれば自分が危険になることはないので事が過ぎ去るのを待つ。これも一種の防衛ですし、自ら喜んで厄介ごとに入って行く人は少ないのが実際でしょう。「火事だ!」と言われると、自分自身にも危険が及ぶ可能性があり、見て見ぬ振りをする方が危険です。
1人に届くと同じカテゴリーにいる人も反応する
空しいかな。私達は完全に環境や状況が異なって他に共通項がある人が全く居ないということはほとんどありません。どんな人も必ず何かしらのカテゴリーに含まれます。あなたが情報を届けたい、メッセージを届けたいと思っている人も、その人と状況や環境が似ている、または同じという人が沢山居ます。
ヒット曲を作った歌手の人が「友達のために作った曲」と言っていることを聞いた事はありませんか?友人のために作った曲だからこそ、その友人の状況や環境にシンクロする人(同じカテゴリーに含まれる人)にも共感を得たということでしょう。
1人に届けようとすると、気持ち的なプレッシャーも弱くなります。不特定多数に届けようとすると、不特定多数に届かなかった時に凹みます。そしてモチベーションが下がります。でもこの人に届けたいと思う人に届けようとすると、目標が「人数」ではなく「人」になるので、不必要な数値に振り回される事がなくなって気持ちも楽になります。